佐藤です。 最近一言朝礼で良く取り上げられたネタが、Tokyo2020の観戦チケット抽選でした。社内でも結構申し込みをしていた方が多かったようで、6/20の当選発表日は悲喜こもごも、いや喜はあまりなく、残念な結果の方が多かったようです。
前回日本で開催された長野オリンピックが1998年、今から21年前ですから、現地で直接観戦したという方もいるかもしれません。で、私ですが、長野は行きませんでしたが、その前のXI Olympic Winter Games 札幌オリンピックが開催された1972年当時、札幌市内の中学2年生で、オリンピックを直接体験しました。その想い出をちょっとだけご紹介します。
※ビジュアル的にお見せできるものがあまりありません。自宅を探しましたが、オリンピック記念切手とアマチュア無線記念局の交信カードくらいしか手持ちがありませんでした。
【 観戦したのは、アイスホッケーとスキージャンプ 】
観戦チケットは今回と同様、抽選でした。もちろんネットなどない時代ですので、往復はがきでの申し込み。結構の枚数を書いて応募したように記憶していますが、当選して観戦できたのは、以下2競技でした。
①アイスホッケー 7-11位決定戦(リーグ戦)
②90m級スキージャンプ
他にも何枚か当選しましたが、そちらは家族や叔父だちが行ったこともあり、何の競技だったのかあまり記憶に残っていません。
①アイスホッケー 7-11位決定戦(リーグ戦)
②90m級スキージャンプ
他にも何枚か当選しましたが、そちらは家族や叔父だちが行ったこともあり、何の競技だったのかあまり記憶に残っていません。
また試合終了後にサプライズで、スタンドの端からリンク内を覗いていた私に、試合で使用していたスティックを放り投げてくれました。あれだけ激しいコンタクトの中で使っているので消耗品なんですね。想い出の品として大事にしていたんですが、残念ながら今は持っていません。(あればここで披露できたんですが)
アイスホッケーは当時人気がありました。北海道限定だったかもしれませんが、日本リーグ戦は毎週のようにテレビ中継されていましたし、日本のナショナルチームも、オリンピックや世界選手権に毎回出場できるだけの実力を持っていました。残念ながら私の観た試合は日本代表ではありませんでしたが、アイスホッケーの魅力を充分に満喫できました。
90m級スキーキャンプ(現:ラージヒル)は、それに先立って実施された70m級スキージャンプ(現:ノーマルヒル)の金・銀・銅独占という快挙を受けて、更なる期待で一杯の雰囲気が満載での観戦でした。台を横から見るスタンド席でなく、着地して降りて来るあたりから見上げるような立見席でしたが、もう廻りは人ばかりで熱気溢れる会場でした。残念ながら日本選手のメダル獲得はなりませんでしたが、このような場所に立ち会えたことは、良い記憶として残っています。
【 アマチュア無線 オリンピック記念局 】
今やスマホやインターネットですっかり下火になったアマチュア無線ですが、当時は中高生に非常に人気がありました。私もご多分に漏れず、中学2年の4月に電話級(今の4級)アマチュア無線技士免許を取得して、自宅や学校のクラブ局などで楽しんでいました。そして、オリンピックの1年程前から市内にオリンピック記念局が設置され、私たちにも利用することができました。事前に予約をして、学校の友達と一緒に何度か運用させてもらいましたが、これもオリンピックに関わる想い出の一つです。
【追伸】
前回のBlogの続きです。前回も「追伸」で掲載した私のアナログディスク愛聴盤。
「次回Blogで紹介」と書いていたので、ちょとだけ付け足しで・・・
3人ともBluesやJazzの世界ではA級のプレーヤーなんですが、ちょっとひと癖もふた癖もあるクセ者だったりするんで、評価や好みが分かれます。でも支持する人たちには熱狂的なファンが多いようです。
① Clarence “Gatemouth” Brown 「The Original Peacock Recordings」
→ジャンルに括られるのが嫌い、American Music Artistを自称する偏屈親父
② Professor Longhair 「Crawfish Fiesta」→音楽副業、本職はギャンブラー
③ Rahsaan Roland Kirk 「The Return of the 5000 Lb. Man」
→鼻でフルートを鳴らしたり、サックスを2・3本咥えて同時に演奏 3人ともYouTubeで演奏している動画を見ることがでます。興味があればご一見を。